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退官教官寄稿
日本思想史学と私
文学研究科教授 玉懸 博之

306号2面・寄稿

 私が東北大学文学部に入学したのは、1958年である。この年4月から東北大学の教養課程の教育が、川内の地で行われることになった。川内キャンパスの講義には魅力的なものもなくはなかったが、私に将来学問研究の道に進むことを決意させる講義にはついに出会わなかった。

 60年4月、私は片平キャンパスの専門課程の史学科日本思想史専攻に進学した。予期せぬ、貴重な出会いが待っていた。専攻(研究室)の担当者は石田一良教授であった。教授は、自らが編み出した、個性的な方法によって、日本の文化史・思想史の像を、思いもかけぬ、まったく新たな形で構築・提示していた。私が特に驚いたのは、教授において、文化史・思想史を研究することと自己が自己らしく生きることとがまったく一致していることであった。教授の学問研究は、みごとな自己表現に外ならなかった。学問研究が教授のような仕方でなされうるのであれば、学問研究は一生をかけるに値する、と私は考えるにいたった。この時点で、石田教授を目標にして研究者の道を目指すことを私は心に決めた。

 卒業論文のテーマは、『神皇正統記』の歴史観と定めた。くり返して読みそして考えるうちに、戦前において「国体論の聖典」とみなされていたこの書の思想、中でも歴史観が実に豊かな内容をもつこと、そして歴史観ないし歴史意識の展開が、道徳思想や政治思想と並んで、日本思想史の上で重要な位置を占めること、がわかった。以後、歴史観の研究が私のテーマの一つとなった。

 68年4月以降の東北大学文学部の助手の時期、私は第2の研究テーマを持つようになった。丸山真男氏をはじめとする、法学部出身の研究者たち(当時、日本人の政治観・政治意識の研究面で大きな成果をあげ、多大な影響力をもった人々)とは違った仕方で政治観の歴史をとらえることである。

 私は、73年に専任講師に昇進し、石田教授の退官直後の77年4月には助教授となって、日本思想史研究室を主宰することとなった。この頃から私は、第3の研究テーマを持つようになった。主に儒教思想に着目して、日本人による外来思想の摂取の仕方とその特色を探ることである。もっといえば、日本古来の「土着」の意識・思想と外来の有力思想との対立・融和・交渉の相に着目して日本思想史の展開をとらえることである。

 歴史観、政治観、外来思想の摂取の仕方に着目して、日本の中世・近世の思想の展開を「私らしくとらえること」が私の東北大学における学的営みの目標であり、私はある程度までこの目標を達しえた、と考えている。

 教育上の成果にも一言したい。石田教授が去られた77年からの24年間、私は、同僚教官の協力を得て、日本思想史の研究室から多くのすぐれた人材を世に送り出すことができた。大学院教育にだけ言及する。課程博士の学位の取得者は、94年以来9名にのぼる(うち日本人学生は6名)。現在、日本国内で彼ら6名を含む20名程の人々が、日本思想史学の世界の中心的メンバーとして活躍している。さらに、海外では、中国に2人の博士、韓国に1人の博士、インドネシアとラオスに1人ずつの修士がおり、それぞれの国において、「本場仕込み」の日本思想史学を披露かつ普及して、斯学の振興に寄与しつつある。

 私は、98年に日本思想史学会会長に選ばれ、東北大学退官後も少しくこれを継続することになる。日本思想史学の、地球的規模での発展、これ私の切なる願いである。


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