日本は酒、醤油、味噌など大変カビの恩恵を受けていますが、大抵の人はカビに対する印象が良くないのは、ひとつには梅雨の頃に至る所に生えてくるカビのイメージが強いからかもしれません。しかし、カビには不思議な行動を行うものも多く、生物学だけでなく他の学問分野の人にも興味あるものとなっています。その中から二、三紹介してみます。
私たちが実験で使用しているヒゲカビは、菌糸の上に直径約100マイクロメートル、長さ10センチメートル以上にもなる髪の毛のような胞子嚢柄という巨大な空中菌糸を形成します。その先端には球状の胞子嚢(胞子を作る袋)を付け、その中には仙台市の人口と同じ100万個の胞子を形成します。この胞子嚢柄は上方から見てはじめは時計方向に、次に反時計方向、そしてふたたび時計方向に回転しながら成長します。また、この胞子嚢柄は星の光のようなごく弱い光にも反応し屈曲します。また横にすると重力に反応して立ち上がり、胞子嚢柄の上方に障害物を置くと、それらを巧みにくぐり抜けて伸びていきます。また一方から風を吹かせると、丁度トンボのように、胞子嚢柄は風上に向きをかえて成長します。胞子嚢柄は回転していますから、これらの運動は実に複雑なものとなります。私たちの髪の毛がこのような運動をするとすれば、きっと奇妙なことが起こるしょう。私たちはいろいろな突然変異対を作り出し、胞子嚢柄の行動の解析や環境要因に対する反応の仕組みを研究してきました。
ヒゲカビと近縁なミズマタカビでは、胞子嚢柄はヒゲカビほど長くはならず、せいぜい3ミリメートル程度です。成熟すると、胞子嚢柄の首の所が膨らみ、丁度岐阜提灯のようになり胞子の詰まった胞子嚢はその上に乗っている形となります。この胞子嚢柄もごく弱い光にも反応し屈曲します。私たちはこのカビも回転運動をすることを見つけました。面白いことにこのカビは、胞子嚢柄の首の部分が十分の膨らむと、中の圧力(膨圧)によって胞子嚢が空中に噴射されることです。噴射された胞子嚢は最大で2.5メートルもとび、速度は秒速5から15メ−トルにも達しますので、それを身長1.7メートルの人間に当てはめますと、実に人間の頭が1.4キロメートル以上もの距離を時速約54キロメートルで飛んでいくことになります。このカビは自然界では動物の糞の上に生えますが、胞子嚢を光の方に噴射することによって、胞子は新しい草の上に脱出し、また再び動物の体内に戻り、新たな栄養源と排出されることになります。さらに驚くべきことには、このロケットに便乗して旅行する線虫のいることです。この線虫も動物の糞の中で成虫となりミズタマカビの胞子嚢柄によじ登って胞子嚢にたどり着き、胞子嚢と共に空中を飛んで次の動物の体内に侵入し、卵を産むわけです。ロケットの原点が感じられますが、それにしても線虫はどのようにしてミズタマカビの行動を知り、大旅行計画をたてるのでしょうか。小さなミズタマカビの胞子嚢が、数匹の線虫を乗せて太陽に向かって一斉に噴射される様子は壮大です。
和名は無いのですが、蛙などの排泄物の上に生えるバシディオボラスというカビがあります。ミズタマカビよりももっと小さく0.5ミリメートルほどの分生子柄(胞子を直接作る空中菌糸)を形成します。このカビもミズタマカビのように胞子を空中に噴射しますが、面白いことに後ろに小嚢といわれる小さな袋をつけて噴射されます。そして飛翔の途中でこの小脳を切り離してさらに飛んでいきます。人間も二段式や三段式ロケットを開発していますが、カビの世界ではずっと昔から行ってきたことなのです。
このようにカビの世界には不思議な現象がたくさんあります。菌類は動物や植物に匹敵する一大グループなのですが、日本ではなぜかカビのことを教えません。外国の教育者から見ると日本の大きな謎の一つと言われています。私たちはカビなどの微生物から多くのものを学び、またヒントを得ることができます。私は定年にあたって、これからの若い人々にはこのような面白い現象にもっと興味を持って、生命科学に親しんでいただきたいと思っています。