東北大学新聞:

[書評]どくとるマンボウ青春記

 新入生の皆さん、あらためて入学おめでとうございます。大学に入ったら、あれをしよう、これをしよう。それぞれに、いろんな計画があることと思います。山のように本を読もう。そう意気込んでいる人もいることでしょう。確かに、自由な時間が有り余るほどにある大学時代というのは、読書をするには最適の時期なのでしょう。高校時代の先生方など多くの人が、自身の経験を踏まえてか、さまざまな作品を紹介してくれます。そんな理由で学友会新聞部からもこの一冊。(289号4面・書評)


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 「どくとるマンボウ」。かなりの人が、名前だけなら聞いたことがあると思う。独特の筆致で知られる北杜夫のエッセイ・シリーズである。本作品「青春記」の舞台は、タイトル通り、北の高校、大学時代。ただし、高校といっても、現在の高校とはやや異なる。時代は、終戦直後の学制改革前後。北が学んだのは、現在の信州大学の一般教養過程にあたる(この辺り、近年の教養部廃止の流れで判りにくくなっているが)旧制松本高校(松高)と、改組されたばかりの、ここ新制東北大学医学部専門課程である。ちょうど、現在の私達の大学に相当する。

 当時の松高の様子は、痛快の一言に尽きる。教師への悪戯は絶えない。食料難の深刻な時代であるにもかかわらず、そして実際それを忍ばせるエピソードがあちこちに見られるにもかかわらず、それでも彼らは皆一様に明るい。

 彼らに相対する教師たちもそれぞれに個性的だ。例えば、筆者が松高一の名物教授に挙げている「ヒルさん」。ヒルさんは、乞食同然の風体で教壇に立ち、粗雑な言葉遣いの内からも、深い情愛をにじませる人である。旧制高校とその生徒を愛するあまり、新制大学には留まらず、小学校の教師に退いたヒルさんを、北は、多くの松高生が他の場所では得られぬ精神面の薫陶を受けた人物として懐かしんでいる。

 この作品には、彼のような個性豊かな教師が、数々登場する。生徒が生徒、教師も教師で、無茶な振る舞いも時に現れるが、それでも劣等生だった北が、「いい先生が多かった」と振り返ることが出来るのは、彼らの間に、深い信頼と愛着があったことのなによりの証しだろう。

 一方、新制東北大に進学してからの描写からは、腹を抱えて笑うようなエピソードは、徐々に少なくなってくる。父親の命に従い、医学部に進学したものの、北は、文学の道を志し始める。敷かれたレールの上をそのまま進んでいくことへの不安と、そこから外れてしまうことへの不安。筆者の逡巡は、私達現代の学生にも共通する。

 大学時代に必要なのは、いい友人をもち、いい本に出会うこと。そんなことを、この作品は改めて教えてくれる。実の詰まった大学生活を送りたいと思っている人、逆に、最近どうもつまらないと感じている人には、例えばこの本を読むことをお勧めしたい。

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