書評反乱のボヤージュ野沢 尚 著
この「反乱のボヤージュ」は首都大学・弦巻寮を舞台として繰り広げられる青春群像を描く、吉川英治文学新人賞受賞作品である。今秋には二夜連続のテレビドラマも放映された。 (314号)
著者の野沢尚氏は「青い鳥」「水曜日の情事」など多くの人気テレビドラマを手がけている脚本家である。その一方で、氏は江戸川乱歩賞を受賞した「破線のマリス」などの小説も執筆し、その緻密なストーリ作りには定評がある。
主人公・坂下薫平は首都大学に通う医学部の一年生。彼の住む弦巻寮は寮の自治を訴え、寮の取り壊しを主張する大学当局と永らく対立を続けている。延々と続く対立に業を煮やした大学当局は廃寮の切り札として寮に舎監を送り込む。それが元・警察機動隊として大学紛争の時代を生きた名倉健一という男である。
当初、学生を忌み嫌う名倉は寮生達を規則で縛り上げ、彼等を寮から叩き出そうとする。しかし、寮生の自殺未遂事件、ストーカー事件、寮生・江藤麦太の殺人未遂疑惑事件などを通し、次第に坂下薫平ら寮生と名倉の心の距離が縮まっていく。やがて、名倉は大学の一方的な寮の取り壊し決定に対し、寮生らと共に寮への立てこもりを決断する。
弦巻寮の設定は今年の八月に取り壊しの強制執行が行われた、東京大学の駒場寮と酷似している。駒場寮も作中の弦巻寮と同様、「学生自治」を主張し、大学当局の廃寮計画に激しく対立していた。
学生の共同生活を主体としている「自治寮」を取り潰し、食堂がなく、学生一人一人に個室を設けた寄宿舎を新しく建設しようとする動きは全国的に展開されている。本学では有朋寮の廃寮化が今年九月に決定された。こうした社会的な流れがこの作品の背景となっている。
もちろん、こうした学生運動を支持あるいは批判することがこの作品のテーマではない。三十年前の大学紛争の時代と現代を比較することで、著者はあくまで、現代の若者そして、その親である団塊の世代に対する批判を最大のテーマとしている。
絶対的な信念・価値観を持たず、その場その場で都合のいい価値判断をする多くの現代の学生。そして、学生運動でさえも、他人と自己の差別化の幻想に陶酔するだけの見せかけの反骨精神で動いている。どちらも自分の中に確たる信念がない。筆者は自らと同じ世代にあたる名倉健一の口を通してこう現代の若者を批判する。
現代人は表面的に傷つくことを恐れ、嫌なことから逃避している。たとえ傷ついても自らの信ずるもの、譲れないもの為に闘うことを本来、子に教えるのは父の役目である筈だ。そう、著者は語る。
自分を捨てた父との決別を決意しながらも、その父に対する憧憬を捨て切れない坂下薫平。父と同じ道を歩むことで父を理解しようとする江藤麦太。生まれることのなかった自分の子供の姿を寮生達の中に見出し、彼等の良き父であろうとする名倉健一。その彼らの姿は、親世代が「父性」を失い、子の世代がその失われた「父性」を求めている現代社会の皮肉な投影であるとも言える。
この作品では終始学生側・寮側の視点で描かれている。その結果、全体として寮=正義、大学当局=悪という単純な二律背反の構造に陥ってしまっている。また、ページの都合か、クライマックスの立てこもりのシーンが表面的な出来事を時系列的に書き並べていくだけのはしょった展開になってしまっている印象を受ける。全体的に洗練された良い作品だけに非常に残念である。
確かに、この作品には純文学のような洗練された文章力はないかもしれない。しかし、時にはユーモアを交え、比較的平易な表現で書かれており、全体的に非常に読みやすい。
作中で、寮は常に周囲から浮いた存在として描かれている。極端な個人主義が学生に、本来目を向けるべき事実から目を背けさせているのだ。学生運動に賛成・反対は関係無く、こうした問題に対し、無関心を決め込んでいる人々に是非読んでほしい作品である。
