退官教官寄稿全学教育とクラス担任
理学研究科教授 笠谷光男 (315号)
学生時代を含めると、四十五年の長きに亙って東北大学のお世話になった。この度定年退職するにあたり、全学教育を中心とした所感を述べてみたいと思う。
私の専門は磁気物理学で、希土類元素が精製可能となり比較的安価に入手できる様になった四十年前頃から、希土類化合物の新しい物質の合成とその基礎物性の測定に励んで来た。希土類化合物の磁性研究が黎明期に入った頃と一致する。講義は固体物理学Ⅰ、Ⅱを学部三年後期、四年前期で担当した。固体物理学、特に磁性は幅と奥行の深い含蓄のある学問で、量子力学、熱力・統計、力学等の基礎知識を必要とする。講義の折に感じることは、学生がそれらの学問を実際の固体物理学と結び付けて理解しえないことである。教える我々としては (全てとは言わないが)、先行する講義の教え方に先ず疑念をもつ。しかし、それらの先生方にも言い分はある。川内(全学教育)で力学も満足に理解して来ない学生には量子力学は無理だと。自分でも川内の一年生に力学を教えて、全学教育の問題点を見たいとの衝動に駆られた。定年から逆算して六年前から年間を通して五年間理学部物理系の学生に、四年前から現在まで年間を通じて農学部の学生に物理学Ⅰ、Ⅱを担当した。併て前者に対して学科の決まりでクラス担任(物理系二クラスの内の一組で六十名)も兼任した。
確かに全学教育は想像以上に難しいが第一印象である。教え方の問題もあるが制度の問題もある。全学教育の場合、高校でベクトルや剛体、微分の応用が指導要領に含んでいる学年の新入生か否か、絶えず気を使ってギャップを埋める苦労がある。更に農学部の場合、一括して農学部に入学し、学科決定は一年の後行われる。入試センター試験で物理を課さないのに、物理学Ⅰ、Ⅱ、Ⅲが何故必修なのかの積年の疑問も学生にはある。二年前期には物理学実験も必修である。彼らに対しては物理初習組と否にクラス分けしての講義(十人程度移動願ったが、それでも初習組は百七十名中百名程度)を二年間試みた。私は初習組を担当し、物理は自然科学の根幹であると説得して納得させた。農学部では物理学は基幹科目でないことは確かであろう。しかし、物理学系に転学部して欲しい程の熱心で有能な学生も一割以上はいる。全学教育の大幅なカリキュラム変更に伴い、十四年度から物理学が選択となるのは寂しい。
物理系の場合、一年(現在は三セメ)の後、物理・地球物理・天文に別れる。物理系のクラス担任は、どの学科に進めば良いとは口が裂けても言えないもどかしさがある。以下、物理系を例に採って述べるが、他学部(科)に当てはまる場合も多々あると思う。総じて、途中で進路変更する学生の大半は知識の欠如に起因する為ではない事は、はっきりしている。クラス担任には通常のアドバイスの他に、休学、退学者の希望者に対して届け書に許可の印鑑を押す役目がある。保護者、本人両者の一致した希望であれば、進路模索との漠然とした理由でも許可せざるを得ない。私は過去五年間で十一人の学生に印を押した。医学部への再入学の為が四名、その他の転校の為が四名、全くの他分野への進路変更が二名、その他一名である。その他一名が問題である。定年退官後も心の扉は何時を開いておく。ゆっくり話合ってみたい。
上記以外にも、届け書類の必要はないが進級不可の学生が何人かいる。クラス担任の域を越えての話で、潜在的能力を引き出すカウンセラーの役を担う専門家も必要とする場合がある。入学選抜試験の多様化(前期、後期、AO入試)に伴い、問題点も三様化しているのが現状である。社会的要因としては、平等社会でのハングリー精神の欠如が挙げられる。運動会で壱等もなにも同じ賞品では競争の意欲が沸かない。
先日、定年退官のお祝いを、教え子が中心になって催して戴いた。就職五年後に早くも転職した人がいた。私は本年度の就職担当もしたが、求人の四割がソフト関係であり、もの作りのメーカは残りの六割である。世の様変わりである。現在の経済危機の下、國があっての大学で、國が滅びても大学が生き残る事はあり得ない。東北大学も研究第一主義のキャッチフレーズを研究中心大学に変えた。刻々と変わる指導要領、世間のニーズに大学の教官も素早く対応する必要に迫られる。幸い本年度から川内の物理の講義、実験を物理教室挙げて平等に担当することになった。先ず自ら川内に飛び込んで、教育の苦楽や師弟間の絆、改良すべき点を体で会得して戴きたい。加えて、理科の全学教育の責任部局として、理学部の更なる貢献を心から期待したい。
