東北大学恐怖新聞
大学の長い夏休み、皆さんいかがお過ごしでしょうか。夏と言えば花火に海にスイカ割り、そして何といっても肝だめしです。ここ仙台は実は巨大な心霊都市。仙台近郊での恐怖現象を扱ったインターネットサイトには、心霊スポットが約三百カ所も投稿されるほどです。 319号
今回、編集部ではその中でも、東北大学の学生にも簡単に行くことができる恐怖ポイント五カ所を厳選し、実際に足を運び検証を行いました。どうか部屋を暗くして、味塩片手にお読み下さい。それでは心霊ツアー、スタート!
フェンスの向こうで待っています…
八木山橋
青葉山から八木山に向かう途中に仙台の自殺の名所、八木山橋がある。あまりの自殺者の多さに何度もフェンスが補強され、現在では高さ二メートルという厳重な警備になっている。そんな状態にも関わらず自殺者が後を絶たない。そのため、怪奇現象の目撃報告が数多くある。
実は、僕も八木山橋の怪奇現象に遭遇した一人だ。去年の八月、僕は友達四人で花火大会に行った。花火が終わった後、八木山にある僕の家で酒を飲むことになった。
当時まだ仙台に来て日が浅かった僕は、八木山橋についてあまり知らなかったので、普通に橋を渡り始めた。
橋の中央にさしかかったとき、フェンスの外側の方から何かを感じた。こんなときは横を見てはいけないと頭で分かっていたが、体が反射的に向いてしまった。
フェンスには二本の手が、がしっとしがみついていた。僕たちは、パニックに陥り、ただ逃げることしかできなかった。どれだけ走ったのか分からない。気付くと八木山動物園の辺りにいた。
あまりの恐怖のために、もう一度橋の中央に戻り、フェンスを確認する気にはならなかった。
その体験から一年経ち、また同じ季節になった。多少恐怖は残るが、この事実を確認すべく、僕はM氏と共に八木山橋にもう一度行ってみることにした。
僕たちが八木山橋に着いたころには、もう深夜零時をまわっていた。この一年間に、数多く八木山橋についての恐ろしい噂を聞いていたので、僕は何とも言えない気分を感じていた。
恐怖を押し殺し、橋の中央まで行ってみたがフェンスには何もなかった。ただ、異様な空気がその場を支配しているだけだった。
僕はもう帰りたかったのだが同行者M氏が「下に慰霊碑があるらしい。ぜひ行こう」と言い出したので、しぶしぶ慰霊碑を見に行くことになった。橋の下へ続く階段を降り切ると、さらに下に狭い獣道が続いていた。その先の深い雑草の中にひっそりと慰霊碑はあった。
慰霊碑の前にまだ古くないお供え物があり、周りにはユリの花が咲いていた。隣を見ると同行者M氏が、写真を撮ろうとしている。僕はやめてほしい、と嘆願した。それにも関わらずM氏はカメラを構えたが、やはり僕が予想したとおりシャッターは下りなかった。
僕たちは恐怖にかられてそこから逃げだした。
押し寄せる墓石
葛岡霊園
葛岡霊園、それはかなり有名な仙台有数の心霊スポット。JR仙台駅から仙山線に揺られること約二十分、葛岡駅で下車、駅のすぐ目の前の森が葛岡霊園だ。
葛岡霊園には数々の怪談話がある。その中の最も有名な話を一つ紹介しよう。
今から七年前、四人の男性が葛岡霊園内の焼却塔の下を車で回ったところ急に助手席の男性が動けなくなり、三人に助けを求めた。三人が恐る恐る助手席の男性を見ると、無数の手が席の下から男性の足をつかみ、動けなくしていた。怖くなった三人は、助手席の男性を残して車から逃げ出し、約二十三分後、戻ってみると、その男性は忽然と姿を消していた。当時、地方新聞にも行方不明者として扱われたという。
そんな恐ろしい心霊スポットに新聞部の霊感ゼロ軍団四人(男)が乗り込んだ―
既に日は沈み、辺りは真っ暗。葛岡駅から歩くこと五分、葛岡霊園入口に到着した。入口の地図を見ると、一つの山の中に墓地と車道が森に囲まれて置かれていて、その想像以上の大きさに一同は戸惑ってしまった。地図を確認し、最も怖いと言われる焼却塔を目指す。
最短ルートとして森に囲まれた車道から入る。だが、その道は照明がないので暗い。おまけに霧が深く視界が悪い。周りの森からは、なにか得体の知れない気配を感じる。霊園内にあるトイレは、その中でも一番異様な雰囲気を放っていた。これは何が出てもおかしくない、一同に緊張が走る。
そして、森を抜けると、そこは見渡す限り、墓、墓、墓。少し小高い丘にたくさんの墓石が並び、ふもとの街の明かりにぼんやりと浮かんでいる。その殺伐とした風景に圧倒され皆、息を飲む。霧の中に浮かぶ墓石の群れは、どことなく人の群れのようにも見えた。そんな幻想的な光景を背に、ひたすら焼却塔を目指し突き進む。
しかし、歩くこと一時間、何度も地図で確認したはずだったのに、なぜか焼却塔に着かない。これは葛岡霊園に住む幽霊の仕業なのだろうか。終電の時間もせまり一同に焦りの色が出始めた頃、さらに追い討ちでもかけるように小雨が降り出した。この霊園の住人たちは我々を拒絶しているように思えた。これ以上ここにいられない気配を感じ、引き上げることになった。
後日、霊園で撮った写真を見てみると…。なんと!人の顔のようなものが写っているではないか!やはり仙台有数の心霊スポットという触れ込みは伊達じゃなかったと痛感した一同であった。
命懸けの恋
乙女の祈り
松島から海沿いを東へ進んだところにある手樽海岸に、「乙女の祈り」と呼ばれる松の木が生えている。なぜそのような名で呼ばれるかは不明だが、自殺現場らしく、その幹には遺書のような文面が彫り込まれている。
かつて地元テレビ局が取材を行い、数多くの心霊ファンがこの地を訪れた。いまだにその一本の松の木は人を引きつけてやまず、心霊体験が後を絶たない。
「近くの岩には人の顔が浮かび上がって見えることがある」、「タバコをお供えしないと呪われる」、「訪れたその時は何ともなかったのだけれど、帰ってから知らない番号から電話が掛かってきた。出てみたら『なんで…』と小さな声が聞こえて背筋が寒くなった」。一説によれば、二十四、五年前に男にひどい目に遭わされて首を吊った女子高生の霊が恨みを抱いて木にとり憑いているのだとか。
現地には下りの仙石線で向かった。手樽駅で降り、県道二十七号線を東に向かって進むと左に手樽海浜公園入り口の看板が見えた。そこを曲がり少し進むと、右手に砂利の坂道がある。坂を上り海が見えるところで、ふとふり返ると、これまで上ってきた坂道の隣に別の林道が続いていた。
林道は心なしか薄暗い。道は狭く、すぐ横は切り立った崖だ。何かに背を押されようものなら、海に落ちて命はないだろう。緊張に体を固くしながらさらに進んだところに、海にせりだす形で「乙女の祈り」は生えていた。
松の木は一部が四角くはがされ、確かに自殺を思わせる辞世の句のようなものが彫られていた。句の周りには所々に赤い血のような染みが見られ、根元には花瓶とおびただしいタバコの吸殻が供えられていた。
句をしっかり読もうと頭を近づけたが、全て解読すると呪い殺されるという噂が頭をよぎり、すぐに木を離れた。足下を見ると、木の根元だけではなくそこら一帯にタバコが散乱しており、その不気味な光景に気分が悪くなった。
ただ、句の最後に書かれた署名は「昭和四十六年 一男」だ。どう考えても一男は女じゃない。乙女が一男を呪って死んだのか、一男が乙女の心を抱いて死んだのか。何だか冗談みたいなネーミングの場所ではあったが、その後、頻繁にかかってくる無言電話に悩まされている。
封印された怨念!?
縛り地蔵
仙台城の膝元に位置する、片平地区から川内周辺にかけては、藩政時代、城と深く関わっていた歴史ある土地だ。そのためか、その地域にはさまざまないわれが存在する。例えば「評定河原」はその名の通り評定場(簡単に言うと刑場)であったとか、仙台大橋近くの「追廻」は囚人を馬に括り付けて引きずり廻した所である、とか…。
そんないわく付きの場所に囲まれた、青葉区米ヶ袋にある小さな公園。私が、そこに祭られているお地蔵さまにまつわる不思議な噂を聞いたのは、六月中旬のある日のことだった。それは日本が太平洋戦争の最中にあった時のこと。仙台市内を流れる広瀬川を、縄に縛られた一体のお地蔵さまが流れて来た。なぜ、ありがたいお地蔵さまが、このような姿で川を流れて来るのだろう。疑問を抱きながらも人々は、流れ着いたその場所に広場を造り、お地蔵さまを祭ることにした…。
私は、いわく付きの土地柄ということと、この噂話とが重なって、お地蔵さまに対する興味が沸いた。そして、ある日の夕方、五人の部員と共に、このお地蔵さまを訪ねてみることにした。
人気のない静かな住宅地。その細い路地を自転車で抜けると、噂の公園は突然現れた。入り口には「縛地蔵」という立て札。中をのぞくと、小さなお社に、確かに縛られたお地蔵さまが祭られている。
近付いてみると、その脇には照明まで備え付けられていた。随分豪華に祭られているなぁ、と思いながら、公園の入り口に再び戻ると、そこには「縛地蔵」のいわれが書かれた看板があった。
それによると、このお地蔵さまは、伊達藩のお家騒動を鎮めようとした英雄を祭ったものであるらしい。噂とは違うことに驚きながらも、さらに読み進めると、 なぜお地蔵さまを縄で縛っているのか、という疑問まで解決されてしまった。それは、願いを込めながらお地蔵さまに縄を巻くと、人間の万苦が取り除かれる…という一種の祈願法に基づくもの、ということであった。でも私は、ありがたいお地蔵さまに縄を巻くということが何だか罰当たりのような気がした。
結局、「縛地蔵」は「いわれのある、由緒正しいお地蔵さま」ということになり、噂は否定されてしまった。
すっかり辺りが暗くなった帰り際、お社脇の照明が、お地蔵さまだけを不気味に浮かび上がらせていた。もしかしたら噂の方が真実なのかもしれない。
魔の一本道
アーケード街
人と店とでにぎわうハピナ名掛丁。七夕祭の時には、溢れんばかりの人が押し寄せる、仙台の顔としてのアーケード街だ。だがそれはハピナの一面であって、夜には不良共がたむろする、恐怖の「閉ざされた魔の一本道」と化す。 深夜二時、たった二人でそこを歩いていた僕たちは、例外なく「かつあげ」されたのだった。
◆ ◆
「何ジロジロ見てんだよ」
僕の澄んだ瞳には、汚れた君たちなど映るはずもない。勝手に見ているのは君たちでしょ。見るな!見るな!
「痛い目に遭いたくなかったら、こっちに来てもらおうか」別にここだって人はいないよな。なぜわざわざ無意味な行動を取るのか理解しかねる。脳が腐っているよ、君たち。
「お金ちょうだい」
ちょうだい、という言葉は「下さい」の意味で、命令ほどに強制力はない。今まで命令口調だったくせに、ここにきて弱気かよ。
「素直に渡せば、痛い目に遭わないからよ」
ひねくれ者の君たちから素直という言葉が出るとは、どっきりカメラ、ヨドバシカメラ。只今ポイント大還元中!「ありがとよ。じゃあまた遊ぼうな」
お金をまきあげるこんな一方的な遊びがあるかよ。お前らは皆で仲良く群れを成して、ままごとをして泥の団子でも食べてろよ。むっ。これはうまい!
◆ ◆
それでも、被害が三千円だった僕はそれ程悔しくはなかったが、腹がおさまらないのは五千円も巻き上げられた友人だ。「あまり気にするなよ。こんな時間にこんな所を歩いていた僕らも無防備だったんだ」怒りに燃える友人を僕はそうなだめたが、彼は全く耳を貸そうとしない。
結局その日は警察で被害届を作成してもらい帰路に就いたが、彼は最後まで警察の現行システム、不良、そして仙台の治安をけなしていた。
翌日、彼に会うと、かつあげされたせいで、今月はもうお金が少なく困っているという。アルバイト代が入ったばかりであった僕は、彼に五千円を貸しつけた。
「もう忘れちゃおうよ」と彼を励ましながら。
それからニ週間が経った。しかし、友人からはあの五千円が戻ってこない。僕は彼を催促すべく、
電話をかけてみた。そして彼は声を大にして、こう言った。
「五千円?何のことよ?あの日お前は俺に言ったよな。もう忘れちゃおう、と。だから忘れたよ。お前も忘れた方がいいと思うよ。…痛い目に遭いたくなかったら、な」
