東北大学新聞:

書評天の瞳

ページをめくる度に頭が痛くなってくる。何だか、胸がムカムカする。こんな気持ちは、金八先生に説教される夢を見たあの夜以来だ。 319号

私が手にしている本の名前は「天の瞳 あすなろ編Ⅰ」。この「天の瞳」シリーズは倫太郎という少年の成長を通して現代社会の問題点を描く一代巨編小説だ。本書「あすなろ編Ⅰ」はその七作目に当たる。小学校教師の経験もある、作者・灰谷健次郎は「兎の目」「太陽の子」など、一環して「教育」をテーマとして取り扱ってきた作家である。

主人公の小瀬倫太郎は中学一年生。ある日、彼の通う錦松中学校で不良グループによる乱闘事件が起きる。学校は教育の一環として、生徒たちにこの事件についての話し合いをさせる。しぶしぶ設けられた話し合いの席で一人の女生徒の発言がクラスに波紋を広げる。

「乱闘を起こした生徒が罪にならないために、私たちに何ができますか」罪を犯した生徒に対し、「非行生徒」のレッテルを貼り、罰を与えることはたやすい。しかし彼らは皆、学校に教師に不満を持って、やり場のない怒りを持て余しているのだ。それを解決しないで、罰を与えるのは単なる生徒の切り捨てに過ぎないのではないか。彼女はクラスメイトたちに問いかける。

これに衝撃を受けた倫太郎は、この彼女の問いかけに対し、全生徒、教師、保護者で話し合おうと三者会談開催へと動き出す。より良い学校を築くために。しかし、そんな倫太郎たちに幾つもの壁が立ちはだかる。規則を理由に、彼らの訴えを潰そうとする教師たち。教師に迎合するだけの形骸化した生徒会。無関心を決め込む生徒たち。倫太郎は仲間と共に、奔走する…。

以上が本書の大筋の流れである。本シリーズを灰谷健次郎が執筆したのには二〇〇〇年の少年法改正といった社会的な背景があるだろう。激増する少年犯罪を厳罰化によって抑制しようとする社会に対し、灰谷はそれでは少年犯罪問題の根本的な解決にはなっていないと警鐘を鳴らす。

確かに、この「天の瞳」シリーズは現代教育の問題点に鋭くメスを入れた意欲作であろう。しかし、著者の小説の人物設定や状況描写はそんな奥深いテーマを吹き飛ばし、台なしにしている。

この「あすなろ編」では主に倫太郎と仲間たちとの議論の場面を中心としてストーリーが進行する。しかし、この議論の内容というのがあまりにも中学生にしては知的レベルが高く、出来過ぎなのである。皆、現実の中学生では考えられないような教養と知性そして正義感を持ち合わせた、有りえない中学生たちだ。特に主人公・倫太郎は独立心旺盛で、曲がったことが大嫌いという正直者で他人に対する思いやりを忘れない。少林寺拳法の使い手でありながら、喧嘩ではそれを決して使わないという何とも理想的な中学生である。

そんなスーパー中学生が、現代の教育制度や医療制度の問題点について読者に説教をする。灰谷健次郎は中学生に理想を抱き過ぎである。とても、共感する気にはなれない。

人間らしい自己矛盾を内に秘めている、小説の登場人物たちの苦悩や言動に我々読者は共感し、感動する。完璧な人間が迷える人々を導く…それはもう小説ではない。聖書か説法集の類だ。

この小説全体から作者の理想主義的な考え方をうかがうことができる。「人と人とは話し合えばわかり合える」「みんな、利他主義で行動すれば理想的な社会ができる」

しかし、それを読者に納得させ、共感させるものがこの小説には欠けているのだ。作者の主張と理想だけが先行し、小説としての視点が置き去りにされている。テーマ自体は洗練されたものではあるが、作品としての完成度には少々疑問に感じる。

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