東北大学新聞:

東北大闘魂列伝 強さへの地平線 ⑧柳生心眼流柔術編

流れるような関節技に、鋭い当て身。合戦の中で磨かれた、実戦技の数々。当時は門外不出であったものが、光が当たるのを避けながら、現代まで受け継がれている。その闇に潜む「強さ」とは何か。その答えを求めて、柳生心眼流柔術の門を叩いた。 321号

柳生心眼流柔術は、竹永隼人という人物によってつくられた。彼は、東北各地にあった神道流、神陰流、首座流、戸田流の四つの柔術を学び、心眼流を創設した。その後、江戸に上って柳生流を学び、その要素を取り入れ、柳生心眼流と名を改めた。後に、仙台藩の足軽に享受され、近代に入って、県北一帯に広まり現在に至る。

柳生心眼流柔術の稽古は、型を主体としている。二十一本ある基本型を、何千回、何万回と繰り返す事で体に染み込ませるのだ。この際、稽古は甲冑を装備しているという想定の下で行われる。そのため、当て身は甲冑における隙間、具体的には、のど、脇、目などを狙う。この修行を続け、段位が上がると武器を使用するようになる。

この型稽古は、まず一人で形を学び、次に二人一組で行う「組稽古」によって行われる。上達すれば、当て身の多い型に発展する。また、この型は複数を相手としても適用は可能だという。

ここで一つの疑問が生ずる。果たして型の稽古だけで実際の動きには対応できるのか。実際にその技の一部を垣間見る事ができた。

こちらがむなぐらをつかみかかると、瞬く間に手首の関節を極められ、抑えこまれてしまった。では、突きはどうか。突き出した拳は、体捌き(たいさばき)によってかわされて空を切り、その後手首を見事に極められてしまった。前蹴りは間合いを殺され、足をすくわれてしまった。回し蹴りも同様に間合いを変えられ、かわされた。かといって受けるだけではない。脇への肘打ち、のどへの当て身などの多彩な技に圧倒された。一度技がきまると間合いを取り、「三光の構え」と呼ばれる独特の構えによって威圧された。

技は現代でも生きていた。その秘技の数々を今に伝える者の思う「強さ」とは何か、師範代の種石悠さんは、こう答えた。

「僕の目指しているものは、『自然さ』です。不自然さのなさというか、普通さです。それが、強さなのか今はまだ分からないけど」。

人間、あらゆる状況下において自然体でいる事は決して簡単ではない。それこそが、命懸けの戦いの中で、我を失わずに相手を捌(さば)いてきた柔術が、今に伝えた強さなのかもしれない。

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