吉本新学長インタビュー これまでの方針に従ったより良い大学作りを
大学法人化に向け制度設計
大学運営の今後
――国立大学法人化による大学改革を進めるにあたり、法人化に対する学生や教職員の意見を、どのような形で法人化後の本学運営に反映させていく方針なのか? 322号
これまで阿部博之前学長の時代に、馬渡尚憲副学長(当時)が中心となって法人化の中間報告を行いました。その報告書をまとめる際に、パブリックコメントとして、学内から寄せられた多くの意見を参考にしました。
これから法人化に向けて、中間報告から最終報告を作らなければなりませんが、その過程でも、学内の意見を報告書に盛り込む方法をもっと取り入れていきたいと思います。
――阿部博之前学長の時に本学では、A委員会とB委員会に分かれて、法人化後の本学の組織的な在り方や中期目標について協議してきたが、今後もこのような体制を続けていくのか?
この二つの委員会は中間報告書というのを提出して、一応の義務は尽くしたと思います。我々はその中間報告書に沿って、法人化に向けて動いていきます。来春には文部科学省から国立大学法人法が出されますが、その法令をどう取り入れるのかを考えながら最終報告をまとめていくと思います。
現在、私と四人の副学長や学長補佐などが集まって、学長補佐会議というのを週に一回行っています。その中で、最終報告案を少しずつ検討していきます。
――阿部前学長の時代には、生命科学研究科や教育情報研究部など様々な研究科が新設されたが、吉本学長としては今後もさらに研究科を増やすことは考えているのか?
現時点では、環境科学研究科の新設や工学研究科の新専攻の設置などに向けて、概算要求を行っている状況です。とりあえず二〇〇四年の法人化までは、現状のままでいく予定です。
――学長に就任する際に、北村幸久前事務局長を人事・財務担当の副学長に任命したが、事務系の人材を副学長に登用するという、国立大学において大抜擢とも言えるこの人選の意図は?
大抜擢だと言われますが、今は学生も教職員も協力して、法人化に向けて大学作りを進めていかなくてはなりません。そのためには有能な人材はどんどん活用していくべきですし、そういう意味では別に大抜擢ではないと私は思います。
北村副学長には長年事務局長として培ってきた経験と実績を生かして、副学長の立場から、これまで以上に法人化後の本学の制度設計に役立ててもらいたいと思います。
――青葉山へのキャンパス移転に関して、これまで青葉山ゴルフ場訴訟が長引いてきた。今後のキャンパス構想の見通しはどのようなものか?
訴訟はまだ終結してないので、今(十一月二十九日)はまだ何も言えません。ですが、移転後の青葉山キャンパスに関しては、評議会で決定されたこれまでの方針を受け継ぎつつ、学生のために良い教育環境や研究環境を作り上げていきたいと思います。
また、一部存続が決定した片平キャンパスについても、メモリアル施設の設置、研究所の再開発、そしてロースクールなどのエデュケーション施設の役割を残すといったこれまでの方針を引き継いでいきます。
――二〇〇七年に本学は創立百周年を迎えることになる。吉本学長としては百周年に向けてどのような計画を考えているのか?
百周年記念事業としては、「東北大学基金」の創設、百年史の編纂、記念建造物の建設、そして記念式典の開催の四つを主な事業として計画しています。今のところは中塚勝人副学長を百周年記念事業の担当にして、これまでの阿部前学長の方針を引き継いでいきます。
これらの事業のなかでもやはり、法人化後の本学における教育環境の充実や、世界的に優れた研究拠点を作るために、「東北大学基金」の創設が最も重要な事業であると思います。
また、奨学金制度にもこの基金を活用していきたいと考えています。優秀な学生を集める上で、奨学金制度はとても重要です。このような制度は私立の学校では当たり前のようにやっている事ですが、それを法人化した大学として、本学もやっていこうということです。
目的意識を大切に
学生時代を振り返って
――吉本学長本人について。本学医学部に在学中は、どのような学生生活を送っていたのか?
学生時代は医学部の剣道部に入っていました。その時には東日本医科学生大会というので二回優勝したことがあります。
それから私は、一度留年したことがあります。私は開業医の息子なのですが、あまり医者になるという自覚がないまま医学部に入ってしまいました。そのため、入学後どういう医者になろうか迷っていた時期がありました。それで一時期じっくり考えたいと思い、一年間留年しました。そして、医学部に戻って来てからは、一生懸命に勉強していました。
――研究者としての道を志した理由は?
私の恩師が、脳卒中の外科治療を世界に先駆けて始めた方でした。患者さんのことについて詳しく知ろうとする、その先生の態度に感動し、その先生のプロジェクトに参加しました。
その頃は本当に忙しくて、一週間に一、二回位しか家には帰らなかったと思います。それに、当時は携帯電話やポケットベルというものがなかったですからね。常に患者さんのそばにいなくてはなりませんでした。
――学長に就任してから約一ヶ月経つが、教授だった頃と比べて、身の周りの状況はどのように変わったか?
生活はとんでもなく変わりました。私は昭和四十三年に医学部を卒業して、それから脳神経外科の仕事をしてきました。そのころから三十数年間はずっと、患者中心の生活をしてきました。つまり二十四時間患者に対する責任があったわけです。
学長に就任してからは生活のリズムが大きく変わりました。もう真夜中に電話がかかってくることはありません。その代わりに、いろいろな所に飛び回ったり、会議に出たりしなくてはならなくなりました。
――最後に、今の東北大学生に向けて一言。
私は今まで、医学部の学生としか接したことがありませんが、東北大学生は非常に真面目で優秀な学生だと思っています。本学に入学した時に持っていた目的意識を真摯に考えて、学生生活を送って下さい。
