東北大学新聞:

大平記 理学部 大平倫祐

平成十三年三月、後期試験の不合格通知が家に届いて、僕の浪人が決定した。
受験生特集号

その一ヶ月後、僕は予備校の教室にいた。僕は授業料が安いという理由で、大手の某予備校を選んだ。

予備校では、勉強の仕方から教えられた。どうやら僕が落ちたのは、勉強の仕方が悪かったせいらしい。次の日から教えられたとおり、テキストの予習・復習をはじめる。

そうして一日一日を消化していくうちに、夏がやってきた。大学生や、既にあきらめた浪人生達が、アホの様に遊びまくる中、僕は予備校にこもりきった。予備校で八時間ほど自習した後、寮に帰ってからも三時間ぐらい勉強した。みんな真っ黒に日焼けしていたが、僕は真っ白だった。

夏も終わりかける頃、僕は実戦をふまえた勉強を始めた。受験に必要なのは、問題を解く速さと、本番で普段の力を十分に発揮できるようになること、である。だから、あくなき反復練習とメンタルトレーニングが必要なのだ。体に解法を覚えこませ、考えるのではなく、体が反応するようになるまで問題を解きまくる。それと同時にメンタルトレーニングも開始する。試験場で適度な緊張を維持し、パニックに陥ってもすぐに立ち直れるよう、呼吸法など気持ちを落ち着かせる練習をした。

センター試験前は、センター形式の問題集を解きまくる。五教科六科目、つまりセンター一回分を一セットとし、それを二十五セットこなす。やっているうちに、着実に体に解法が染み付いてゆくのが自分でも実感できた。それと平行して、時間感覚を養う訓練を行った。これは、勉強中に、自分で十五分経ったと思ったら時計を見て確認し、なるべく十五分で時計を見るようにする、という訓練である。この訓練によって、レーサー並の時間感覚を身に付けた僕は、まさに無敵。センターいけるべ、と本試験への自信を深めていった。

センター試験会場では、さすがに緊張したが、呼吸を整え、精神統一すると、心地よい緊張感を保つことができた。

出来は、地理が最悪だったが、その分、現代社会で信じられない点数をたたき出し、結果は…、なんと!六百八十点という自己新記録をマークした。

しかし、センター後から二次試験までの間は、気持ちが極めてナーバスになる時期である。僕も例外ではなく、漠然とした不安に襲われた。このままの勉強法でいいのか、オープン模試でのE判定が脳裏をよぎる。睡眠時間を削り不安を振り払うかのように、机にかじりついた。

二次試験当日、バスが混んでいたので、タクシーで会場まで行くことにした。なんとかタクシーをつかまえ、乗り込んだ。ところが、試験場の理学部ではなく、医学部に連れて行かれた。本当に聞き間違いか?急いでタクシーを出すが、遠回りしたため、金が余分にかかる。試験場に着いた後も、ぼったくりタクシーのせいで僕は、かなりイラだっていた。手渡された東北大学新聞も読まず、席につき呼吸を整え、怒りを静めるように心がけた。

英語の試験が始まって、十分ほど経つと、僕のなかで何かが目覚め始めた。問題を考えるのではなく、感じるようになってきたのだ。ブルース・リーの「考えるな、感じるんだ」という言葉を今なら理解できる。遂に、僕は悟りの境地に立てたのだ!

前期試験のあとは抜け殻のようになっていた。前期試験で全てを出し尽くし、真っ白な灰になった僕は、勉強が手につかなかった。ぼんやりと合格発表までを過ごした。

合格発表当日、片平キャンパスへ掲示板を見に行く。駅から片平までの間にいろいろな人たちに出会った。笑顔で携帯をかける人、友達に慰められる人。僕はどっちだ?とドキドキしながら歩いていると、気付いたときには、片平キャンパスに着いていた。

 掲示板の前は受験生よりも勧誘に来た東北大生で賑わっている。掲示板の前に立つと、僕の心拍数は急上昇。アメフト部員が見守る中、受験票を片手に自分の番号を探した。「な、ない!」いくら探しても僕の番号が見当たらない。今年もまた駄目なのか、去年の悔しさが蘇る。

…って、よく見ると違う学科の掲示板じゃん!一人でノリツッコミした。一気に気が抜けた僕は再度、注意して掲示板を見た。そして、僕は叫んだ、ロッキーのように。次の瞬間、僕の体は宙に舞った。受験というペナントレースを制した僕は、優勝の胴上げにしばし酔いしれた。

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