350号一言居士
マキャヴェッリの『君主論』を読んだのは、ずいぶん前のことだ。国を建て安定させるためにどうすべきかを、過去の歴史的事例を挙げて説明している。名著にしては現実的で、いわばハウツー本だ(350号)
▼『君主論』は現代では、組織をまとめる指南書として読まれるのかもしれない。ちょっと運や財力があったところでいきなり一国の君主になれる時代ではない。国はいまやその内部の人々を呑み込んで「国民」とし、経済と合一して、生活のなかに確立している▼チェ・ゲバラの『ゲリラ戦争』を読んでハッとした。『君主論』が治国のノウハウを伝授しているように、この本はゲリラ戦法について延々と語る。そして、どちらも最終目的は、国家=権力を掌中に収めることだ。だが、一方は権謀術数を、他方はゲリラをその手段とする。対峙する側の武器がでかくなったということは、国家というものもでかくなったもんだ、そう思った▼逆に昔は、国の概念は小さかったわけだ。宮城は東北の一地方、東北は日本の一地方、日本は東洋の一地方、というように、要は位相の問題にすぎなかった。ジャンヌ・ダルクをフランスという国の救世主とするのは現代的意味であり、当時の人々はそんなふうには考えもしなかった、というのが事実のようだ▼最近、愛国心が云々されているが、宮城県の歴史と伝統を愛せよという愛県心の法律ならどうするか? 青葉区への愛区心を、誇り高く生きるための拠り所にできるか? 戦時中を例に取るならこうだ──仙台市のために死ねるか?
