東北大学新聞:

369号一言居士

8月上旬、仙台駅前は人で溢れていた。高くそびえるビルの間を、多くの人が動く。

そして、私もそこにいた。数ヶ月前、初めてこの街に来た時には、この街の大きさに、発展に、驚きを覚えたものだった。仙台駅前。第1セメスターを終えた後、再びこの地に立っている。入学したばかりの頃のことが思い出されたが、日も傾いてきたのでそろそろ新幹線に乗ることにしよう。
私の実家は静岡県にある。都会といえる土地柄ではないが、暖かく、とても過ごしやすい気候だ。数時間の後、私は故郷の地に立っていた。空を見上げると、雲が大きく天を覆い、それは富士山の雄姿をも隠していた。少し遺憾に感じつつも、まずは散策をすることにした。
大学の生活が始まったのは4月のことだ。あれから4ヵ月が経つ。たった4ヵ月しか経っていないはずだが、故郷は懐かしく感じられた。その一方で、短期間の間に、街の様子が変わっているようにも感じた。この街の時間の流れ、空気の流れの持つ穏やかさ。これは高校を卒業するまでには抱かなかった感覚だ。
仙台は人も店も、私の故郷に比べれば遥かに活気がある。アーケード街は休日になれば多くの人が出向く。駅前に至っては言うまでもない。それが仙台の、都会としての個性だ。私は仙台で数カ月を過ごすうちに、仙台の街の個性に染まっていたのかもしれない。
私の故郷に個性があるとすれば、穏やかさだろう。18年間の間、私は故郷以外の街に、数カ月に及ぶほどの長期滞在をしたことがなかった。もちろん、立ち寄った街は無数にあるが、その街の個性を知るには至らなかった。しかし、自分の故郷を離れ、仙台での日々を長期間送る中で、無意識にも絶対だと思っていた故郷のイメージから解放されて、相対的な個性が分かるようになった。
これは街だけにとどまるものではない。自分の固執する分野にこだわらずに、ほかの分野にまで手を伸ばし、その見方を知ることで、それまでは知ることのなかった意外な一面が 見えてくるのではないだろうか。

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