夜のピクニック
2ヶ月間に及ぶ長い長い春休みのある日、僕は1冊の本に出会った。いや、出会ってしまったと言ったほうが良いかもしれない。
なぜならその本は、僕の人生を大きく変えることになるだろうから。本の題名は『夜のピクニック』。仙台市出身の作家・恩田陸さんの作品で、第2回本屋大賞や第26回吉川英治文学新人賞を受賞するほどの凄い小説だ。僕は『夜のピクニック』という、どことなく卑猥な響きに興味を覚え、光速を超える速さでその本を買ったのだった。家に帰って読んでみると、当初の卑猥な予想を大きく外れる話であったが、「歩行祭」を通して一皮剥ける主人公たちの姿を垣間見て、「僕もピクニックがしたい、一皮剥けたい」という衝動に駆られた。居ても経ってもいられなくなった僕は、部の仲間たちにこの熱きシャウトを明かした。仲間たちは僕の、ピクニックに対する魂の叫びに心震え、ピクニックを快諾してくれた。こうしてピクニック企画は幕を開けたのだ。
当日の予定はこうだ。まず部室に集合し、点呼で人数確認。そして深夜0時きっかりに出発する。目的地は塩竈市にある「鹽竈(しおがま)神社」。距離にして約20キロ、時間で言うと6時間程度だ。自他共に認めるインドア派の僕にとっては、過酷なピクニックになるであろうことは容易に想像できた。でも僕は決して逃げない。なぜならこれは僕が選んだ道なのだから。
部室から塩竈神社へと出発して5分後、僕たちは仲ノ瀬橋に差し掛かった。さっき「僕は決して逃げない」とカッコ良く決めてみたけど、実はこのときもう帰りたくなっていた。この企画の前日に限って、友達と半年振りのボウリングに行って肩を痛めていた。なぜか股関節も痛かった。とにかく早く帰って寝たかった。午後9時にはベッドに入る僕が、なんで深夜0時に歩かなければならないのか。その問いかけに僕は答えることが出来なかった。「この道、ちょうど私の帰り道と一緒ですね。やっぱり帰りますか(笑)」。誰かが笑いながら言った。僕は帰りたいという思いを我慢して歩いていたのに、先に言われてしまって悔しかった。だから思わず「帰りたいやつはさっさと帰ってママのおっぱいでも吸ってな。僕はお前の屍を越えてでもたどり着いてみせる!」と言ってしまった。これでもう帰れなくなった。
西公園通りを北上し、市民会館前を右折、定禅寺通りへと入る。深夜を回っているので、辺りは酔っ払いで溢れていた。普段深夜に出歩かない僕は、いつヤンキーに絡まれるかビクビクしながら足を進める。もう足の痛さは、まだ仙台駅を過ぎていないのにピークに達していた。もっと普段から運動しておけばよかったと後悔する。
定禅寺通りを抜けると、45号線に出た。あとは真っ直ぐ進むだけで鹽竈神社に着く。東北本線の線路を横切る。足の痛さはもう分からなくなるほどであった。いや、むしろ何か違う感覚を覚えた。
気持ちいいのだ。
さっきまで家に帰りたいという衝動に駆られていたのに、今では、もっと歩きたい、僕の足をいじめたいという衝動に変わっていた。そういえば高校のときの登山でも同じような感覚に襲われた憶えがあった。足が痛くなれば痛くなるほど、僕は悦びを禁じえなかった。僕はもしかしたら変態さんなのかもしれないな。歩きながらそう思った。
セブンイレブンで小休憩をする。僕はさっき感じた悦びのことを仲間に言おうと思ったが、もし気持ち悪がられたら嫌なので黙っていることにした。
歩行を再開する。相変わらず足の痛みが快感を湧き起こす。僕はあまりの気持ちよさに意識を失いかけながら歩く。そんな僕の目の前に強敵が現れた。それは45号線と仙台バイパスの交わるところの歩道橋だ。ただの平坦な道でさえ、悦びを感じずにはいられないのに、こんな長い階段を歩いたりしたら、泡を吹いて失神してしまうかもしれない。恐る恐る階段を上がる。予想通り全身に電撃が走り、思わず声を上げそうになる。この時の僕の顔は、さぞかし凄かったことだろう。辺りが暗くてよかった。
階段を降り、しばらく歩くとミルキーウェイが見えてきた。仲間達はやっと休めると歓声を上げた。しかしミルキーウェイは閉まっていた。午前2時で閉店なのだ。仲間達が残念がるのを尻目に、僕はもっと足をいじめる事が出来ると、心の中でガッツポーズをした。僕はもう、悦楽の螺旋に迷い込んでいたのだ。
ミルキーウェイから1時間ほど、僕は足の痛みに悦びを感じながらひたすら歩いた。時にはスキップをして緩急をつけてみたりした。しかし心ではまだまだ行けると思ったが、体は所々ガタがきていた。するとマクドナルドがあったので休憩を入れることにした。時には休むことも必要だ。
マクドナルドでの休憩を終えた僕らは、最後のラストスパートをかけた。相変わらず僕は、痛みと言う悦楽に酔いしれながら歩いた。徐々に辺りは明るくなってきた。塩竈市役所を過ぎ、塩竈の商店街へと入る。まだ朝方なので店はどこも閉まっていた。やっと鹽竈神社が見えてきた。ゴールは近い。神社の前に辿り着いた僕らの目の前に、ラスボスが現れた。拝殿へと続く長い階段だ。もはや、サドの究極体だ。思わず唾を呑む。今までの悦楽レベルが1としたら、この階段はレベル5はある。もしかしたら、本当に昇天してしまうかもしれないと内心思いつつ、覚悟を決め、一段ずつ上がる。
そこから先は覚えていない。おそらく失神したのだろう。気が付くと目の前に、左右宮拝殿があった。震える足で近づきお賽銭を入れ、手を合わせ、目を瞑った。「僕は変態さんなのでしょうか?」神様に問いかけてみた。すると神様が「お前さん、変態は決して悪いことではない。誇りにしていいんだよ」と言った気がした。
帰りは電車で帰った。電車の中で、歩いてきた道を見つめながら、今まであったことに思いを巡らした。友達とした会話のこと、疲れたこと、 …そして僕が変態だったこと。でも、変態に対しての、後ろめたさはどこかに消えていた。これから僕は、報道部の変態として生きていきたい。
