東北大学新聞:

国際文化研究科から流るる「組織」の膿

東北大学は拠点大学の一つとして輝かしい業績を上げてきた。しかし近年、総長の研究不正疑惑、教員が原因とされる理学研究科院生の自殺、国際文化研究科教授の暴行事件、研究不正に伴う歯学研究科教員の懲戒処分など、様々な「事件」が噴出している。これらは、東北大学が抱える諸問題の氷山の一角でしかない。
国際文化研究科には問題が集約している。教授の公費出張中の暴行事件に端を発し、係争中の研究室や設備の私的利用、教授本人が認めた留学生への非道行為、出張や研修への常習的な交際相手の同伴と不適切な公費支出、不可解な長期研修許可、半年間の海外研修直後から現在に至る長期間の授業自粛、研究科公式HPとリンクした教授のブログ上の商業広告と恒常的収入の疑い、同ブログに現れたアジア女性との交際を斡旋する出会い系バナー広告など、問題は多岐にわたる。
同時に報道部は、諸問題の解明のため、情報公開法に基づき、大学に対し教授の職務遂行に関わる情報開示を求め公開質問状も提出してきた。しかし大学は事実関係に蓋をするばかりで、明解な説明も誠意ある対応も示していない。今回国際文化研究科教授の問題を検証し、本学の抱える病理の一端につき問題提起したい。

08年7月10日、仙台高裁は一審仙台地裁判決に続き、出張中の日本人女性への暴行を認定した。教授は既婚者で、女性をしばしば出張に同行させていた。問題の渡航も科研費(基盤研究B、課題番号16330093)によるものである。一、二審判決によれば、06年6月20日、出張先のドイツで教授は女性と口論になり、床に突き飛ばしてけがを負わせた。
係争中、当時の石幡直樹・国際文化研究科長(07~08年度)は「判決が確定してから検討する」としていた(08年4月14日付本紙)。二審判決確定後の08年9月25日、同科長に対応を再質問すると、「大学の方針として民事不介入の原則から、教授を処分することはない」と発言を翻した(08年10月14日付本紙)。しかし教授提出の裁判資料から、科長が教授に、係争中の07年10月5日付通知で「職員就業規則第50条に基づき、文書により注意」したことが判明している。
矛盾を指摘した報道部の質問(09年11月5日付)に、大学は「同規則に基づく注意は処分(懲戒処分)ではない」と回答(09年11月20日付)。「処分」の解釈変更で矛盾を打ち消そうと試みた。しかし本学の「訓告等の取扱い方針について」(04年7月16日懲戒委員会決定)の第1項に「訓告等の処分権者及び処分書交付者について」とあり、同規則に基づく注意が「処分」と規定されている。取材で、「処分」を懲戒処分に限定する石幡科長の発言もなかった。
業務外非行について、本学の「懲戒処分の指針」第2項3は、「傷害は停職または減給」と規定している。処分されてしかるべき行為が、しかも科研費による出張中の不祥事が、現在も黙認されていることになる。
本来「民事不介入」は戦後の警察活動をいうもので、大学運営に適用されるとするのは強弁。報道部が調べた限り、本学の規程で「民事不介入」に言及したものはない。実際、09年11月20日付回答で大学は、今回の教授の暴行事件は過去のセクハラ事件と無関係とし、「民事不介入」が特例であることを事実上認めている。
08年9月25日の石幡科長への取材時には、布田勉副研究科長が同席していた。この事実からも、教授をめぐる一連の処理が、科長の一存によるものではなく、研究科執行部の責任の下になされたことが窺える。
本学の「懲戒処分の公表基準」(05年理事裁定)の通り「懲戒」はメディアへの露出が求められている一方、「訓告等」は基本的に公表の要はないことから「注意」処分が選ばれた可能性がある。
09年10月5日の取材によれば、「教授は07年度後期から09年度まで、全学教育科目と大学院科目を開講していない。内、08年度からの2年間は『自粛』とされる。10年度から授業が再開される」ことが判明した。
「規程に沿った処分がなされないまま『自粛』が解かれることを誰が決定したのか」との報道部の質問(09年11月5日付)に、大学は「特に答える必要はない」と回答(09年11月20日付)し、責任の所在を明かそうとしない。
厚労省賃金構造基本統計調査によるデータによれば、大学教授(56.9歳、月161時間労働)の平均年収は1121万円。「自粛」した2年間、51歳のこの教授に支払われた給与は、賞与も含め総額2000万円を下らないと見られる。授業のない期間中、それに見合う他の業務を充当する措置はなされてきたのか。
報道部は質問状で「自粛期間中に給与が全額支払われてきたのか」と問うたが、大学の回答は「特に答える必要はない」であった。少なくとも08年度前期、教授は授業をせず丸々給与を得ていたことが、研究科への取材で判明している(08年7月23日付本紙)。
授業をしない分研究は進んでいるのか。教授のHPはこの間の業績(自己申告)が以前にも増して乏しいことを示している。授業の義務の解けた勤務時間の相当部分を、裁判対策に費やしてきたことが疑われる。
08年度から2年間の「自粛」は、事実上「命令」の性格をもつことが、教授提出の裁判資料から分かった。
乙第53号証の4からは、当時の荒井克弘・学務審議委員長(当時副学長)から石幡科長に対し、08年度全学教育科目の授業自粛の要請があった事実が自明に。科長は教授に、マスコミ報道で学生や保護者に疑念と不安が広がっているので、要請に従うようメールで促している。またこの判断が、副研究科長、科長補佐、事務長の協議の上だったことも明かしている(09年11月18日付本紙)。荒井副学長自らの自粛要請からも、大学中枢部が積極的に一連の処理に乗り出していたことがわかる。
石幡科長のメールは08年度の全学教育科目に限定しての自粛要請だが、実際には自粛は大学院に及び、翌09年度にも延長されている。一方教授の所属する多元言語文化社会論のシラバスには、講座全教員の担当とする授業が複数あり、教授の授業自粛が明記されていない。報道部は質問状においてシラバスの矛盾を指摘したが、大学からは「単に講義、演習等の形態を述べたものである」と意味不明の弁明が来たのみである。
元不倫相手が教授を提訴する以前の06年3月、匿名の英文告発状が当時の浅川照夫研究科長(05~06年度、現全学教育推進部長)に届いた(教授提出の乙第20号証)。告発者は当事者間の事情を知る人物。書状によると、元留学生が教授の子を宿し男児を出産。その後結婚し、教授は重婚状態にあるという。
第一審判決後の08年3月26日、報道部の取材に石幡科長は、前科長のときのことで本投書の存在を知らないと答えた。教授が裁判資料として自ら提出したことで本告発状の存在が公になった。
原告女性の陳述書(甲第98号証)には、教授の告白に基づき、教授と浅川元科長が密に連絡を取り合い入念に火消し(隠蔽)が図られた様子が、具体的やりとりを交え詳らかに提示されている。これを受け、事実関係を確認すべく、浅川元科長へ08年2月27日付で取材依頼文を提出したが、現在まで返事はない。同年3月ごろ浅川元科長へ予告なしで取材を試みた際、告発状の存在を知らないと答えた。さらに問い詰めると、顔を真っ赤にし威圧的に語気を荒げて否認した。
浅川元科長は、直後の同年4月、ディスティングイッシュト・プロフェッサーに任命されている。なお、氏は93~04年、情報科学研究科人間社会情報科学専攻に在職していた。
告発状、原告の証言、教授側の資料に一致するマレーシア人元留学生(情報科学研究科人間社会情報科学専攻、99年9月修了)を報道部は既に特定している。
教授は中国人女子留学生(当時)に虚偽を掲げ再現写真を撮り、無断で37枚を法廷に提出。取材に石幡科長は「被害者や関係者からの訴えがない以上調査できない」と答えた(08年4月14日付本紙)が、裁判資料によれば、彼女はFAXで大学当局に差し止めを願い出ているという。
尋問と教授提出資料(乙第40号証)で、一連の行動が彼女を傷つけ憤慨させたことを教授自身が認めている。行為が「国立大学法人東北大学におけるハラスメントの防止等に関する規程」第2条「教育研究ハラスメント」に当たる可能性を指摘した報道部の質問に、大学は「研究科の内部事項なので答えられない」と回答(09年11月20日付)。
07年12月10日と08年7月25日、東谷篤志・総長特別補佐から報道部に対し学生支援課への出頭要請があった。編集長(当時)と記者の2名が2度も1時間以上拘束され、「注意して報道するように」との警告を受けた。2度目は敢えて「総長補佐としてではなく個人の立場で」と断った。課の課長・係長数人を従えた総長補佐の各1時間余の「注意」は、威圧的なもので、締めつけにも等しい行為である。本来学生の課外活動を支援すべき東谷総長特別補佐(学生支援担当)のこの動きは、誰の意を受けたものなのか。
教授が来年度から全学教育科目に復帰することが取材で明らかに。履修を忌避する学生のためにどのような対策が講じられるのか。
ハラスメントが起こっても、このような学内環境下で学生保護は望むべくもない。報道部は、09年11月 20日付の大学側の回答を精査の上、再度質問状を提出する予定である。

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