東北大学新聞:

川内萩ホール クラシックコレクションvol.3 支倉市長が聴いた西洋の調べ

4月25日、本学川内萩ホールにて、コンサート「支倉常長が聴いた西洋の調べ」が開催される。コンサートでは、仙台藩主伊達政宗の命を受け、メキシコとヨーロッパの交易確立のためヨーロッパに旅立った武将、支倉常長の旅の軌跡をたどりながら、常長が現地で聴いたであろう音楽を生演奏で再現していく。仙台にゆかりのある武将支倉常長の旅が、豪華なオーケストラと合唱団によって再現されることに注目が集まる。今回、本紙は、音楽監督を務める尚絅大学教授今井邦夫氏、歴史解説を務める本学東北アジア研究センター教授平川新氏にコンサートの魅力についてお話を伺った。

音楽監督 今井邦男教授
――今回のコンサートはどのような経緯で企画されたのでしょうか
3年前にサントリーホールで、支倉常長の旅をめぐるというテーマでコンサートを行いました。立教大学の皆川先生の解説のもと、メキシコ、スペイン、イタリアといった支倉常長が回ったいくつかの国の当時の音楽を演奏しながら彼の旅を紹介するというものでした。ただ音楽を聴いてもらうというだけでなく、常長が困難や喜びの中で聴いた音楽を僕たちが聴くことによって、常長の旅を、血肉化して、眼前に常長と同じように感じられるという狙いがありました。
実際、サントリーホールの企画は大成功でした。僕もサントリーホールの企画を見たけれど、素晴らしく感動的なものになっていました。また、そもそもサントリーホールのコンサートの資料は仙台市から提供されたものであり、仙台市博物館でも同種の企画を小さいながら行ったことがありました。
皆川先生から、あらためて「仙台でもどうか?」という話しをいただき、ようやく今回このようなコンサートを萩ホールで実現することができました。企画の原型は仙台にあって、それが全国版になり、今回里帰りするという形ですね。
――そもそもの企画を立ち上げられた皆川先生とはどのような方なのでしょうか
皆川先生は日本の隠れキリシタンの歴史をずっと研究されています。たとえば支倉常長より20年前くらいに、豊臣秀吉によって送られた天正少年使節も、現地で音楽を勉強して秀吉の御前で演奏したといわれています。
ただその後ヨーロッパの音楽は、鎖国によって禁止されてしまうわけです。しかし皆川先生は、ラテン語の聖歌が、長い鎖国の時代を生き抜いて今でも長崎と周辺の島で、祈りという意味を持つ「オラショ」という名で、秘密の儀式として歌われているということを発見されました。
これらのことと支倉常長のことが皆川先生の中で関連して研究対象となっていたようです。
――仙台版ならではの見所・聴き所を教えてください
サントリーホールの公演ではなかった要素として「慶長遣欧使節」を執筆された東北大学の平川先生の協力が加わることで、最新の研究に基づいたより正確な支倉常長像が語られることになると思います。
もうひとつは音楽の規模が大きくなったことです。サントリー版のときはせいぜい全体で30人くらいでしたが、こちらは最大で120~130人の大合唱にトランペットやトロンボーンなど楽器の演奏も加わり、素晴らしい規模のミサ曲が演奏されます。
そのミサ曲は、天正少年使節も訪問したガブリエリと言う人が書いたとされるもので、16声部に分かれています。一般的な4部合唱が4つも必要になるわけです。ある場面では楽器がパートの一部を担当します。それを皆川先生ご自身の指揮でやるというのが今回の目玉です。とても壮麗な音楽になっていると思います。
また常長が川崎町で生まれたかもしれないとか、大郷町に常長の墓らしいものがあるとか、地元である宮城ならではの常長との関係が今回の企画で紹介できればよいと思います。聴いていただければ、音楽の美しさだけでなく、実直な常長の人となりも伝わってくるようなよい企画になっていると思います。
――見に来る人に特に注目してほしいポイントは
やはり常長が洗礼を受けた際の美しい音楽と、先ほどの壮麗な16声部の大合唱です。しかしその間にも、たとえば常長がフランス大使館に呼ばれた際、シャンソンか何かを聞いたであろうなど、当時の様々な音楽を紹介していきます。あのへんの時代はルネサンスからバロックに入ろうとする時期で、僕たち音楽家にとっては興味の尽きない時代です。いろんな国でいろんな個性的な作品が生まれている時代です。そういう当時の様々な音楽は、私たちの普段の生活にはあまり馴染みのないものですが、1度聴けばその音楽の素晴らしさはすぐわかるものだと思います。
さらに今回のコンサートには日本の音楽も演奏します。八橋検校(※江戸時代前期の作曲家)に六段という曲がありますが、皆川先生はそこにスペインのミサ曲の影響があると考えています。それまでの日本の音楽にはなかった、主題の旋律を次々と変奏していくような発想をどうやって八橋検校は得たのか。六段(※6つの変奏曲という意味)という絶対音楽的発想の、音楽史上の謎と、長崎におけるヨーロッパ音楽の影響との関係を皆川先生が解き明かします。
だから聴きどころは「無数にある」ということですね。楽しみにしていてください。


歴史解説 平川新教授

――今回の企画についてお話を受けた時どのように思いましたか
ちょうど私が、仙台市史の中の「慶長遣欧使節」の執筆をしており、支倉常長について担当しているときにご依頼をいただいたので、タイミング的にはお引き受けしやすい状態でした。
――今回のコンサートで特に紹介したい支倉常長の人物像は
支倉常長の慶長遣欧使節としての評価についてですね。彼はメキシコと仙台の間の通商関係を開くことが目的に、伊達政宗の使者としてヨーロッパに渡ったわけですが、結果的にはうまくいきませんでした。だからその評価をめぐっては、失敗をした悲運の大使という評価があります。しかし一方で、スペイン国王やローマ教皇に拝謁を許されるという大歓迎を受けています。そういう側面に目を向ければ栄光の使者であるともいえるわけです。その両側面のどちらにスポットを当てるかによって支倉の人物像というのは大きく変わってきます。今回のコンサートでは、短い時間で、彼のヨーロッパに渡った足跡とヨーロッパで果たした役割を紹介することになりますが、うまくそのあたりの両面が紹介できればと思っています。
――平川先生自身は、当時の音楽に関連した研究はされていたのですか
音楽というのはほとんど頭にありませんでした。ただ、支倉常長がヨーロッパに渡る前の時代の記録を見ますと、ヨーロッパの使者が江戸湾に太鼓を叩いて上陸した、などの記述が時々あります。そういう記録を見ると、このときの太鼓とはどんなものだったのか、どんな音調だったのかなど気になっていました。そのような意味で今回のコンサートは私としても非常に興味をひかれるものですね。どんな当時の音楽が再現されるか私も楽しみです。音楽と、肖像画などの映像、文字記録が合わさることによって、支倉の生きた時代、そして当時のヨーロッパの雰囲気が三位一体となって伝えることができると思っています。
――支倉常長の旅の中で特に印象的なエピソードを教えてください。
支倉はスペイン国王やローマ教皇に会って、栄光の使者として歓迎を受けますが、結局メキシコと仙台の通商関係について、スペイン国王からもローマ教皇からも色よい返事をもらえません。彼は使者としての役目を果たせないことに段々焦り始めます。スペイン国王に何度も嘆願をするけれど、やはりいい返事が貰えず、結局彼は「いい返事がもらえるまで日本に帰らない」と修道院に籠ってしまいます。そういう記録を読みますと、彼が政宗から与えられた使命を果たすことに関して、非常に一生懸命で必死の姿が思い浮かんで胸を打つものがありますね。彼はもうキリシタンになって洗礼を受けていたわけですから、「なんとか自分の使命を果たすことが出来るように」と必死に祈りを捧げていたんだろうと思います。
――見に来る人に特に注目してほしいポイントは
メキシコに入ったころから、支倉はラッパや太鼓など常に音楽によって歓迎されています。ローマの入市式でも鼓笛隊が華やかなパレードが行われました。そういう雰囲気を今回のコンサートを通じて会場の皆さんにも追体験をしていただければと思います。
――ありがとうございました。

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