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学都仙台コンソーシアム サテライトキャンパス開講「人間は機械である」と考える治療

学都仙台コンソーシアムのサテライトキャンパス公開講座が、6月12日、仙台市市民活動サポートセンターで開催された。今回の担当講師は本学加齢医学研究所の山家(やんべ)智之教授。「『人間は機械である』と考える治療」というタイトルで講義を行った。

機械の場合、一つの部品が故障したとしても、その機械を丸ごと廃棄してしまう人はいないはずだ。故障した部品だけを新しい部品に取り換えるだろう。人間=機械という発想をすることで、疾患により一部の臓器の機能が麻痺した場合でも、その臓器だけを取り換えるような治療を行うことができ、患者を殺さずに済むようになる。
このような治療の際に重要な役割を果たすのが人工臓器だ。本学は戦前から医学系と工学系の共同研究が盛んで、さまざまな人工臓器の開発研究が進められてきた。研究対象の幅広さは世界有数であり、特に人工心臓の開発では、ロータリーポンプを利用することで世界をリードする存在となっている。
人工臓器の開発においては、内臓とは何かという本質を見極めることが肝要となる。肺の場合でいえば、ホルモン調節などの機能はとりあえず無視し、息をして血液に酸素を送り込むという機能だけに注目する。この機能を真似ることが実用的な人工肺をつくることにつながるのである。
現在、体内のほぼすべての臓器を人工臓器に置き換えることが可能になっている。また、脳に対しても、パソコンのように直接通信を行い、人工的に制御する実験に成功しつつある。脳まで含めて、頭の先から足の先まで人工臓器によって機械化された人間が出現する日も、そう遠くはないのかもしれない。
ここで、複雑かつ難解な哲学的問題が生じる。すべてを機械化された人間に尊厳はあるのかという問題である。全部が機械から成り立つロボットの命には意味がないのに、全部が機械から成り立つ人間の命には意味があるのか。そもそも、すべてを機械化された人間はロボットと何が違うのか。医療の進歩を否定することはできないし、病気で苦しむ人を治療することは「絶対の善」であるだけに、よくよく考える必要があるだろう。
当日、会場には、大学生や一般市民など40人ほどが集まり、メモを取りながら熱心に講義に聞き入っていた。山家教授は時折ユーモアも交えて楽しく話し、質疑応答の時間には活発に議論が交わされるなど、終始和やかで充実した雰囲気の中での開催となった。

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